竹成五百羅漢
嘉永5年(1852)2月、竹成出身の僧照空(神瑞)が、晩年五百体の羅漢像の建立を発願し、桑名の石工である藤原長兵衛一門に依頼しました。照空自身はその完成を見ないで安政2年(1855)4月他界してしまいました。しかし、その意志は彼の死後も、竹成の農民に受け継がれ約15年の歳月をかけ、慶応2年(1866年)に完成しました。
その後明治9年(1876年)、地租改正時に起こった伊勢暴動によって大日堂が焼かれ、廃仏毀釈の影響で一部の石仏が破壊されたり、持ち去られるような時期がありましたが、現在は三重県の指定史跡にされ保護・管理されています。

高さ約7メートルの小高く盛った土山の上に、無数の石像が並んでいます。
東の面には、大地蔵菩薩と二童子。三蔵法師。弘法大師など。
南の面には願主の照空上人像。地獄の炎魔大王と十王。頂上付近には、単独像としては非常に珍しい四夜叉(薬叉)像があります。
西の面には多くの羅漢像。
山上には大日如来と四方仏。その前には釈迦如来。普賢菩薩など。
北の面には七福神。役の行者。苦行の釈迦。中腹に天照大神。猿田彦。羅漢像など
神仏混淆の石像が468体残っています。
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